バハカォン店内写真 トゥカーノ リングイッサ カウンター

 2007/07/22(Sun) A.M.09:30。関内駅徒歩3分のバハカォンに集合したのは、mocidade vagabunda2名、オオクボ君、キャシィを筆頭に建築チームが6名、関内でのホット・ヨガ帰りにフラっと寄った大学院生が1名、全く起きれずにベッドの中でグーグー寝てたのが1名。
 微妙な天気の中での内装作業初日。まずは内装の解体から。漆喰仕上げの予定なので、前の店舗で貼ったビニールクロスとか、廃墟風にレイアウトされた石のタイルを壁から剥がします。まずは、ビニールクロスの上に貼られたタイルをマイナスドライバと金槌を使って慎重に剥がし始めたんだけど、あまりにも途方もない作業なので、途中から力技に切り替え、タイルを素手でガシガシ剥がしまくり約1時間で終了。途中強力に接着されたタイルが石膏ボードごと剥がれるトラブルもあったものの、そのぐらいは想定の範囲内。ノープロブレム。
 タイルを剥がし終わると次に壁を覆っている石造風のグレーのビニールクロスを剥ぐ作業へ。剥がし始めてスグに気が付いたんだけど、石造風ビニールクロスの下には、木目調のビニールクロスや純白の壁紙が何層にも貼られていました。たぶん、2つ前の店とか3つ前の店の壁紙の上にどんどん貼り重ねていった結果だと思うんだけど、同じ場所で店を始めてもっと大きな店に移転した人とか、止むを得ずに店をたたむコトになった人とか、なんかこの「場所」の歴史っていうか足跡みたいなモノに触れてちょっと感動。
 そんな夢の痕を7人掛かりでバリバリと剥がし終えると、いよいよ佳境の漆喰作業へ。漆喰は本来は消石灰に糊とかスサとかを混ぜて練って作るモノらしいんだけど、素人の集合体にはハードルが高過ぎるため、スグに塗り始められる漆喰ペーストをインターネットで注文。デジタル・スゴイ・ベンリ。
 左官作業経験者がほぼゼロの状態だったので、安全措置も含めて一番はじめに取り掛かったのが目立たない入口脇の壁。バケツに入った漆喰を鏝板に載せ、コテで練りながら壁に塗りつける単純作業だけど、漆喰に見た目以上に粘性が無くてかなり難しい。初回作業記念に全員が漆喰左官作業に手を出してみたんだけど、左官経験のあるイガちゃんはかなりスムーズに作業を進行。そして天才的な才能を発揮したのが建築リーダーのオオクボ君。左官経験ゼロにも関わらず左官職人ばりのキレのある動きでガシガシと壁に漆喰を塗布。このオオクボ君の作業スタイルを見て、形から入る重要性を再確認しました。
 そして12時半。今日は学生チームが定期試験と課題提出ラッシュ期間のため、午前中で作業終了。約3時間の工程で解体と壁一面の下地塗りが終わるなんて、かなり順調。次回作業は定期試験終了後の7月末を予定です。


 渋谷にあるbar blenblenblenのマスターのゴウさんの好意で教えて貰った激安店舗用品店のテンポスバスターズには、厨房器具だけじゃなく、あらゆる新品・中古の店舗用品が揃っていたけど、前回購入したのはステンレス製のシンク×2と作業台のみ。バーの必需品と言えばもちろん冷蔵庫なんだけど、業務用冷蔵庫のあまりのデカさと価格に恐れをなして、前回の買出しツアーでは購入を断念。問題を先送りにしただけで、冷蔵庫購入と運搬方法を漠然と思案していたボクらにまたも朗報が。実家(酒屋)で不要になった業務用冷蔵庫を提供してくれるとのこと。ラッキー。
 2007年海の日。あいにくの雨が降る中、さっそく実家の酒屋に2人掛かりで冷蔵庫を引き取りに。ただ、業務用冷蔵庫は、とても2人でなんとかなる重さじゃなく、祝日でたまたま酒屋の手伝いに来ていた元アルバイトのキイ君の手を借りて3人掛かりでなんとかトラックの荷台へ。ブルーシートで包んだ冷蔵庫を載せたトラックに3人で乗り込み、バハカォン前に移動。今度は巨大な業務用冷蔵庫を狭い階段を通って地下のバハカォン店内へ。文字で書くと簡単だけど、腰が抜ける程重たい冷蔵庫を3人掛かりで運び込む作業はかなりの重労働。何も知らない状態で快く冷蔵庫運びを手伝ってくれたキイ君に感謝。
 こうして少しずつ厨房器具が揃って段々バーっぽくなってきたバハカォン。次はいよいよ内装作業です。

 現場でのバハカォン制作作業と平行して、デスクワークも地味に進行中。海の日の前日には、バハカォンのフライヤーのデザイン案を制作。現状では、オープン日なんて予測も付かないので、「8月下旬オープン」なんてお茶を濁してみたりして。ちなみに、バハカォンのオープン日程は確定次第、このバハカォン・ブログで公開する予定なのでお楽しみに。



 2007年7月初旬、内装工事はオオクボ君とオカさん改めキャシィ率いる大学生チーム、厨房周りにはマサル プロという力強い味方を得たボクらの前に、浅草サンバカーニバル常勝の最強エスコーラ・バルバロスから、関西弁ダンサーのあやぞうが協力助っ人として登場。なんとあやぞうは電気配線のプロ。
 バハカォンは、カウンターとかキッチンが何にも無いいわゆるスケルトン状態で借りたけど、天井には前のバーで使ってた照明器具が健在。高級な感じの照明器具が天井にズラっと並んでたものの、電気配線がさっぱり分からないボクらは天井からブラブラと垂れ下がってるケーブルを今までただ眺めてるしかなかったんだけど、夕方に軽トラックで登場したあやぞうは、工具を使ってケーブルを切ったり繋いだりした後、
「天井もぐらなアカンから、明日の昼間にやっとくわー」という男前なセリフと共にバハカォンの合鍵を受け取って走り去って行きました。

 翌日は、マサルからのアドバイスを胸に閉店間際のテンポスバスターズへ。キッチン用シンク、カウンター用2層シンク、作業台の3点セットを購入し軽トラに積み込むと、一路バハカォンへ。シンクを抱えて地下への階段を降り、電気のスイッチを入れると、天井から煌々とした明かりが。今まで沈黙を続けていた天井の可動式スポットライトやカウンター用ダウンライトが店内を照らし、壁や天井からだらしなくぶら下がっててケーブル類もキレイさっぱり。日中にあやぞうが手掛けてくれた電気工事はもう完璧。照明だけであっと言う間にバーの雰囲気がぷんぷん。さすがです。
 
 めちゃめちゃ多くの人達の善意と情熱に支えられながら、一歩ずつ開店に近づくバハカォン・ダ・モシダーヂ。今回電気工事をしてくれたあやぞうの「子供を育ててるみたいな感じやんか」の一言には感激。多謝。

 内装のデザイン・施工を大学生チームが快く引き受けてくれたものの、実際の開店するための審査・検査・申請関係に関しては無知識。この状態で内装を工事しても、あっさりダメ出しされて終了になる可能性大。というワケで早速役所関係に聞き込み調査へ。

 まずはじめは、地元の保健所。保健所では、主に衛生面でのチェック。内容的には7年ぐらい前にカフェオレ屋台をはじめた時とあまり変わらない印象。厨房周りの素材や、手洗い器等の衛生面での注意点が主。
 次に消防署。ココでは、防災・防火関係のチェック。今回開店するバハカォンは、30席以下の店舗だけど、マンションの地下なので、防火管理責任者も必要とのこと。火元周りの素材や、換気扇周りに工夫が必要。
 最後には警察署。深夜営業許可は警察のテリトリー。防音対策や部屋の照度について結構細かい指導。バハカォンでは、「音楽」は大事なキーワードなので、防音対策は熟慮する必要ありか。

 3箇所をわずか1日であっさり回って来たものの、複雑過ぎて即日テンパったボクらの前に登場したのが、自営で厨房関係の仕事をしている同級生のマサル。彼の「大丈夫。」の一言でいきなり大船。さすがにプロの一言は全然違います。
 厨房周りの注意点を細かく指示して貰った後、いよいよ渋谷のbar blenblenblenのゴウさんに教えて貰った、店舗用品専門店のテンポスバスターズに買出しへ。

 それにしても、本当に沢山の人に支えられて生きてるコトをここに来て実感。ホント感謝です。

 無事に店舗契約が完了すると、物件を管理している不動産屋から手渡されたアイテムは店舗の入口の鍵と、シャッターの棒。まさか、オプションでシャッターの棒まで付いて来るとは思ってなかったので、これにはかなりびっくり。どこかドラクエ的。

 今回借りた物件は、いわゆる居抜き物件ではなく、スケルトンだったので、カウンターや厨房が無いだけじゃなく、内装撤去の際の後遺症で壁紙なんかもボロボロ。天井にも穴が空いてました。全てを手作業で行うことを決めていたボクらにとって、内装工事は相当なハードルの高さだったけど、ココで登場したのが関東学院大学で建築学を専攻しているオオクボ君とオカさん率いる建築学科学生連合軍の皆さん。なんと内装のデザインから施工までをひとつ返事で快諾してくれました。人の繋がりって偉大!
 というワケで、7月上旬に早速現地で測量。借りた店舗を測ってみた結果がコレ。即日に図面になっちゃう俊敏性。マジで素敵です。

 このスケルトンな空間が、一体どんな形に仕上がるのか、本当に楽しみ。

 

 バハカォンプロジェクトの第一歩目は、最も敷居の高い店舗の賃貸契約。
「黄金町プロジェクト」に触発されて、半ば思い付きで走り出した計画だけに最大の難所がやはり保証金と家賃(苦笑)。
というワケで、出来るだけ初期投資を抑えるべく、まずは保証金や家賃、フリーレント期間などの交渉。
地下の物件というコトで、「携帯電話電波中継システムを大家さんと折半で設置」なんて条件も考えてみたものの、この携帯電話電波中継システムの設置コストにびっくりして断念。
条件設定をあれこれ交渉の結果、納得の条件でいよいよ正式契約へ。

6月下旬の午前中、この物件を管理している保土ヶ谷区の某不動産へ。
記録に残すために、具体的に書いておくけど、不動産の店舗契約に必要な提出書類はこんな感じでした。
・契約書
・連帯保証人覚書
・住民票
・印鑑証明
・納税通知書

保証金入りの渾身の茶封筒を握り締めて不動産屋へ到着すると、さっそく諭吉軍団はボクらの元を去って行きました。
沢山の書類に署名・捺印した後、宅地建物取引主任者からの説明を受けて、晴れて契約成立。

コレで、いよいよバハカォンがボクらのモノに。感無量。

ちなみに、契約したバハカォンの住所をネットで検索してみたところ、前はソウルバーだったみたい。
うーん。カッコいい。あとは、手作りでこのクオリティにどこまで迫れるか。

『なんやそれ、面白そうやん。』
目当ての物件を断念して途方に暮れてたボクらの前に登場したのは現柏レイソルのDF岡山一成。
なにを隠そう彼はサンバじゃなくて、Alcioneの『Nao deixe o samba morrer』という曲だけのファンで、過去にパゴーヂのライブに飛び入り参加し、初めて触ったヘピニキ・ヂ・マォン片手に現場合わせの適当な歌詞で大熱唱した経歴を持つサンバ的強者。
かねてから飲食店経営にも興味を持っていたため、今回のバハカォン・プロジェクトに急遽参戦することに。

力強い味方と合流したコトで急に勢い付くと、今度は黄金町の特殊飲食店街に拘らず横浜市中区全体をターゲットに物件を再調査。
横浜市中区内の物件を片っ端から見て回った挙げ句、2007年6月中旬にふらっと立ち寄ったM不動産でめちゃめちゃいい人な担当者の方と巡り合い、運命の物件と出会うコトに。
場所は関内周辺の繁華街から少し外れたいわゆる隠れ家的な場所だけど、立地、広さ、条件、家賃含めてほぼ完璧。何より地下、さらに駅から徒歩3分ってロケーションが最高。

不動産はかなりのナマモノでスグに決めないと痛い目に会うコトを既に実体験してたボクらは、その場に居合わせた全員がピンと来たこの物件に躊躇せずに即決定。

ここからいよいよ本格的にバハカォン・プロジェクトがスタート!

「黄金町プロジェクト」の話を聞いてさっそく特殊飲食店街を歩いてみると、大岡川沿いに横浜の文化芸術活動で象徴的な役割を果たしてるBankArt(バンカート)の出張所の様な「BankArt桜荘」なんて建物を発見。
さらには、大岡川沿いの歩道もきれいに整備され、さらには「桜桟橋」なんて桟橋や剣道場まで。
黄金町まで徒歩5分の距離に住んでいるにも関わらず、こんな大きな変化にも気が付かなくなってたなんて、アンテナ錆びまくりでした。

 特殊飲食店街全体を歩いてみた感じでは、大岡川沿いの通りを除いては、京浜急行の高架工事のために張り巡らされた工事フェンスのおかげで全然陽があたらず、まだまだ鬱そうとした雰囲気のまま。
 ただ、大岡川沿いの通りの雰囲気はバツグンで、黄金町駅から大岡側沿いに入ったところの角地に一目惚れ。 立ち並ぶ他の店舗と比較して若干広めの店構え、5坪程度の店に入口が3箇所の開放感、オールトタンで出来た外壁のバラック・テイスト、朽ち果てた看板から漂う哀愁、泥酔客が体当たりしても壊れなそうな屈強なカウンター、そして何よりも目の前に広がる大岡川の淀んだ水面と桜並木。ボクらのバハカォンとして全てが完璧でした。
 全てのタイミングがバッチリ合っていたので、本当に「運命」かとテンション上げまくったのも束の間、そのまま不動産屋に走るもタッチの差でアウト。既に同じ場所に目を付けた人が契約処理をはじめているとのことでした。
 既に黄金町界隈に漂うサウダーヂ感に夢中になっていたボクらは、他にピンと来る物件が無いかどうかを探したり、同じ界隈のバーなどで色んな話を聞いてみたりしたものの、さすがに一筋縄では行かない混沌とした街だけあって、あまりハードルの高さを実感してあえなく断念。

 ただ、ゆっくりと助走をはじめたバハカォン・プロジェクトをスパっと諦められる程大人じゃないボクらは、夜の黄金町に集い、次の作戦を練り続けることに。

 G.R.B.P.mocidade vagabundaでは、2007年8月からブラジル、サンバ、パゴーヂ、フットボールをキーワードにしたコンセプト・バー「Barracão da Mocidade(青春のバラック)」を横浜関内地区でディレクションすることになりました。
 mocidade(青春)の名に負けず店の全てがオール手作りのこの青春型プロジェクトは2007年6月からスタート。
 このブログでは、バハカォン・ダ・モシダーヂ開店までのプロセスを順次記録していきます。

 このプロジェクトのスタートのきっかけとなったのは、横浜黄金町の特殊飲食店街(俗に言う赤線地帯)再生のための「黄金町プロジェクト」。
 かつて違法飲食店や売春宿がひしめき合っていた京浜急行の黄金町から日ノ出町までのガード下の店舗跡地を利用して、資本を掛けずに若者達のネットワークで再生して行こう。という熱いコンセプトで現在進行中のプロジェクトです。
 mocidade vagabundaというブロコ(サンバ集団)を立ち上げたばかりのボクらにとって、この黄金町プロジェクトの話は、全ての拠点となるBarracão(※1)を所有するための絶好のチャンス。
 しかも、黄金町の特殊飲食店の店舗は、その特殊な用途のために全てが2階建てのメゾネット形式なので、ふつうの家賃程度で借りれるなら、1階でバーをやりながら2階に誰か住んじゃえばいいじゃん。という恐ろしく軽いノリでそのまま赤線地帯へ。

2007年5月。これがこのプロジェクトのスタートでした。

※1:
「Barracão(バハカォン)」とは、直訳ではバラックの建物のコトですが、ブラジルではリオやサンパウロの各地に点在するEscola de Samba(サンバ団体)が所有するカーニバル用の衣装や山車を制作したり、パーティを行ったりするための建物の総称になっていて、元々はサンバのルーツとい言われるカンドンブレ(アフロ・ブラジリアンの宗教)の儀式等を行っていた大きな建物をBarracãoと呼んでいた様です。(ポルトガル語をちゃんと読めないため、wikipediaのポルトガル語版から推測)