「黄金町プロジェクト」の話を聞いてさっそく特殊飲食店街を歩いてみると、大岡川沿いに横浜の文化芸術活動で象徴的な役割を果たしてるBankArt(バンカート)の出張所の様な「BankArt桜荘」なんて建物を発見。
さらには、大岡川沿いの歩道もきれいに整備され、さらには「桜桟橋」なんて桟橋や剣道場まで。
黄金町まで徒歩5分の距離に住んでいるにも関わらず、こんな大きな変化にも気が付かなくなってたなんて、アンテナ錆びまくりでした。
特殊飲食店街全体を歩いてみた感じでは、大岡川沿いの通りを除いては、京浜急行の高架工事のために張り巡らされた工事フェンスのおかげで全然陽があたらず、まだまだ鬱そうとした雰囲気のまま。
ただ、大岡川沿いの通りの雰囲気はバツグンで、黄金町駅から大岡側沿いに入ったところの角地に一目惚れ。 立ち並ぶ他の店舗と比較して若干広めの店構え、5坪程度の店に入口が3箇所の開放感、オールトタンで出来た外壁のバラック・テイスト、朽ち果てた看板から漂う哀愁、泥酔客が体当たりしても壊れなそうな屈強なカウンター、そして何よりも目の前に広がる大岡川の淀んだ水面と桜並木。ボクらのバハカォンとして全てが完璧でした。
全てのタイミングがバッチリ合っていたので、本当に「運命」かとテンション上げまくったのも束の間、そのまま不動産屋に走るもタッチの差でアウト。既に同じ場所に目を付けた人が契約処理をはじめているとのことでした。
既に黄金町界隈に漂うサウダーヂ感に夢中になっていたボクらは、他にピンと来る物件が無いかどうかを探したり、同じ界隈のバーなどで色んな話を聞いてみたりしたものの、さすがに一筋縄では行かない混沌とした街だけあって、あまりハードルの高さを実感してあえなく断念。
ただ、ゆっくりと助走をはじめたバハカォン・プロジェクトをスパっと諦められる程大人じゃないボクらは、夜の黄金町に集い、次の作戦を練り続けることに。
Posted in barracãoプロジェクト | コメントは受け付けていません。 | 7月 5th, 2007
G.R.B.P.mocidade vagabundaでは、2007年8月からブラジル、サンバ、パゴーヂ、フットボールをキーワードにしたコンセプト・バー「Barracão da Mocidade(青春のバラック)」を横浜関内地区でディレクションすることになりました。
mocidade(青春)の名に負けず店の全てがオール手作りのこの青春型プロジェクトは2007年6月からスタート。
このブログでは、バハカォン・ダ・モシダーヂ開店までのプロセスを順次記録していきます。
このプロジェクトのスタートのきっかけとなったのは、横浜黄金町の特殊飲食店街(俗に言う赤線地帯)再生のための「黄金町プロジェクト」。
かつて違法飲食店や売春宿がひしめき合っていた京浜急行の黄金町から日ノ出町までのガード下の店舗跡地を利用して、資本を掛けずに若者達のネットワークで再生して行こう。という熱いコンセプトで現在進行中のプロジェクトです。
mocidade vagabundaというブロコ(サンバ集団)を立ち上げたばかりのボクらにとって、この黄金町プロジェクトの話は、全ての拠点となるBarracão(※1)を所有するための絶好のチャンス。
しかも、黄金町の特殊飲食店の店舗は、その特殊な用途のために全てが2階建てのメゾネット形式なので、ふつうの家賃程度で借りれるなら、1階でバーをやりながら2階に誰か住んじゃえばいいじゃん。という恐ろしく軽いノリでそのまま赤線地帯へ。
2007年5月。これがこのプロジェクトのスタートでした。
※1:
「Barracão(バハカォン)」とは、直訳ではバラックの建物のコトですが、ブラジルではリオやサンパウロの各地に点在するEscola de Samba(サンバ団体)が所有するカーニバル用の衣装や山車を制作したり、パーティを行ったりするための建物の総称になっていて、元々はサンバのルーツとい言われるカンドンブレ(アフロ・ブラジリアンの宗教)の儀式等を行っていた大きな建物をBarracãoと呼んでいた様です。(ポルトガル語をちゃんと読めないため、wikipediaのポルトガル語版から推測)
Posted in barracãoプロジェクト | コメントは受け付けていません。 | 7月 3rd, 2007